INTERVIEW

Taichi (テーラー・仕立て職人)

福岡県生まれ。
2005年渡英、サヴィルローの老舗テーラーハウスでテーラーリング技術を習得。
東京造形大学卒業後、Miuccia Prada、Domenico Dolceのデザインチームでテーラーとして活動。
2011.3.11の東日本大震災後にNPO法人coyomi設立。代表を務めながら、世界の子ども達とコイノボリを作るKOIONOBORIproject.を主宰する。
自身の活動として日本の伝統的な織物や技術を生かしたクチュールの服づくりを行う。

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》しけ絹との出会いについて

― Taichiさんは、テーラーのお仕事をされながら、各地を巡ってその土地に根ざした手仕事に触れ、日本古来の衣のあり方を探る取り組みを行っていらっしゃいます。
最初に、松井機業のしけ絹との出会いについてお聞きしました。

Taichi「しけ絹の存在を知ったのは約3年前。2017年に富山県高岡市で開催された工芸ハッカソンというイベントで、企画者の林口さんに富山の絹織物をいくつか紹介していただいたのがきっかけです。なかでも松井機業さんは、染色家の安達さんと組んで作品を発表されていて、新しいことに挑戦されているのだなと感じてご連絡し、松井(紀子)さんと東京でお会いしました。

テーラーの仕事で多くの素材に触れてきたなかで、しけ絹の第一印象は『本当に絹なのか?』というものでした。まるで博物館で見たものを手に取ったような、日本古来のものに出会った感覚です。よく今まで織り継がれてきたなぁと感動しました。」

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しけ絹の生地

―Taichiさんが感じていらっしゃる素材の現状について。

Taichi「服飾の世界では、基本的に精練された生地しか市場に出回りません。精練され、糸も布目の密度も均一で、検査に合格したものがよい素材と言われています。でも、それは誰かが作った価値観で、そうじゃないものがあってもよいのでは?と常々思っていました。

素材にしても、まず絹はどうやって作られているのか、一般の人はほとんど知りません。蚕、シルク、さらりとして高級……。これも誰かが作り上げたイメージです。綿も、生地として使われるようになったのは比較的に新しく、日本では麻のほうが古くからなじみがありました。私たちが本当に注目すべきなのは、他からやってきた概念ではなく、日本古来のものではないでしょうか。とくに子どもたちには、素材の歴史や成り立ちについて学ぶ機会があってもよいと思っています。」

― しけ絹から、日本古来の素材につながるお話を伺いましたが、その思いに至ったきっかけはありますか。

Taichi「尊敬する京都の染織史家・染色家の吉岡幸雄先生のトークイベントを拝聴した際、『草木染めは、透明感のある生地を使うことが最高の染めである』と話されたことに感銘を受けました。透け感のある天然素材といえば、やはり生絹(すずし)ですね。特にしけ絹は理想に近いといえます。

さらに、現代の皇族が着る十二単は新しい重ねで、古くは生絹を重ねてさらに密であっただろうというイメージがありました。日本のご先祖様が身に着けていた本来の生絹の姿をよみがえらせるために、しけ絹のような素材に出会いたいと、ずっと思っていたのです。」

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オンラインでのインタビューの様子

》ドレス制作から見えた しけ絹の魅力と可能性

― しけ絹との出会いののち、2019年に東京造形大学の卒業生として展覧会を開催された際、しけ絹を素材とした作品を発表されたTaichiさんですが、その創作の意図について教えてください。

Taichi「展覧会では、人の筋骨や五臓六腑など、皮膚の上からは目視できない身体を、〝存在〟という観点から再創造することに挑みました。布と糸が身体の中の空間を露わとするためには、透明感のあるしけ絹を重ねるのが最善だと考え、10枚ほどの布を折り重ねたロングコート、ワンピースを制作し、透明なトルソーに着せて空間を演出。大窓から射し込む自然光を受けたしけ絹が、神々しく光り輝く〝存在〟として印象を放っていました。衣服が身体として存在し、凛とした姿で立っている様に、多くの方から『見たことのない存在感』だと好評をいただきました。

もし体制が整えられるなら、襲(かさね)色目※を再現してみたいです。特に藍と紅染めを重ねた衣を作りたいのですが、草木染めで紅色を染めようとすると、量に関係なく百万円は下りません。

襲色目の生まれた平安時代は、若い方の着物は明るく、年配になるほど濃い衣装を纏っていました。また男性でも桜色や朱を身に着けていたようです。

現代の生活では一日中、光の量や気温も変化のない暮らしで、四季の変化を体感しづらくなっています。だから、着ることで季節を楽しむ事ができるように努めてみたいと思っています。その助けになるのが、身に着ける衣の色や素材だと思います。四季と共に変化する古来の衣の色を再現したいのは、このような理由もあります。」

※襲色目(かさねいろめ)…平安時代の女性装束の重ね上着に用いられた配色

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展覧会の様子

――なるほど。しけ絹の襲色目をぜひ拝見してみたいです。Taichiさんには、しけ絹を使ったベビードレスを作っていただきましたが、赤ちゃんの衣装としてのしけ絹についてお聞かせください。

Taichi「しけ絹は、触れたときにしっとりと人肌に近い感覚があり、ベビードレスにしたらどうだろう?と閃きました。現代のシルク製品は均一できれいな反面、温もりが失われており、その点で、しけ絹は生っぽくて肌触りも温かく、息子が一歳の頃を思い出して、幼子の持っている肌の透明感としけ絹は相性がよいと思いました。」

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しけ絹で製作したベビードレス

》しけ絹とつなぐ これからについて

――2020年12月20日から、ホテルリバーリトリート雅樂倶で、しけ絹を用いたTaichiさんの展示が行われます。テーラー(仕立て職人)として、どういった思いで制作されましたか。

Taichi「松井夫妻からオーダーのあった『ずっと着続けられるもの』という要素を加味しながら、ワンピース、スカート、ジャケット、ブラウス、パンツ、パジャマを仕立てました。お2人は松井機業で働きながら、自ら織り上げたしけ絹を身に着ける機会がなかったというので、彼らのための労働着をイメージしています。労働とは、暮らしそのもの。日常で着られるしけ絹を想定しています。展示会のテーマ『つなぐ』のように、作品が人と人、人と技術を仲介する役割を果たすことができれば嬉しいです。」

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Taichi氏によるデザイン画

「そもそもテーラーは、良いものを永く着続けられるように、メンテナンスをふくめて衣服をケアする立場にあります。デザイナーは、製品の購入後にどう服と向き合うかの責任を取ることができません。テーラーの私は、つねにエンドユーザーとつながっており、クレームをいただくときも、何をどうすればお互いが納得できるか、技術や知識で応えていく責任があります。

オートクチュールの世界は、贅沢で華やかな印象がありますが、メゾンによっては作るほどに赤字になる現状もあります。利益の追求でなく、ブランドのPRとしての側面を持ちながら、その本質は文化財ともいえる『技を遺す』ことにあります。ものによってはのべ八千時間を要するオートクチュールドレスをあえて作るのは、手間のかかる人の手から生み出される技術を遺し、つないでいくための時間を大切にしているからです。」

―最後に、Taichiさんが松井機業とともに取り組んでいきたいことを教えてください。

Taichi「技術の継承が行われているテーラーの仕事に携わるなかで、日本の手仕事のために何かできることはないか?と思ったとき、絹織物の技術が途絶えかけていることに危機感を感じます。ただ伝統を守らねば、という単純なことではなく、古来の技術が失われることは、日本人のアイデンティティや、いにしえとの交信アクセスが途絶えることを意味しています。

松井機業さんに服を作りましょうと提案したのは、みなさんがしけ絹を纏うことで、日本古来のよいものを『つなぐ』ことについて考える機会を作りたいと思ったからです。引き続き、松井さんの貴重な活動の助けになれるよう、力を尽くします。」